剣の乙女ピンボール

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    <野生>のプロジェクトマネジメント――計画性と偶発性をマネジメントする「ブリコラージュ」

    レヴィ=ストロースの哲学からプロジェクトマネジメントを問い直す連載企画「<野生>のプロジェクトマネジメント」の第二回は、「ブリコラージュ」がテーマです。

    「ブリコラージュ」は、フランス語で「器用仕事」を意味するもので、「ありあわせの手段・道具でやりくりする」という考えですが、これが現代のプロジェクトにおいてどのような意味を持つのか、そして、プロジェクトに関わる我々はそこから何を学ぶことができるかを考えたいと思います。


    ブリコラージュとは?

    そもそもブリコラージュが何を意味するのか。

    レヴィ=ストロース(1976:23)によれば、ブリコラージュは「ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る」ことを意味し、「「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則」であると指摘します。 たとえば、壊れた椅子の足を取り外してテーブルの脚として再利用したり、また料理であれば、冷蔵庫に残っている材料を使ってありあわせの料理を作るような振る舞いがブリコラージュ的なものです。

    レヴィ=ストロースは、ブリコラージュと対比させる概念として「エンジニアリング/エンジニア」を用いながら、目的性もしくは計画性や、用いる資材の捉え方の違いに言及しています。


    「器用人(ブリコルール)は多種多様の仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案された材料や器具がなければ手が下せぬというようなことはない」
    「器用人(ブリコルール)の使うものの集合は、ある一つの計画によって定義されるものではない。器用人の用いる資材集合は、単に資材性(潜在的有用性)のみによって定義される」
    (ストロース,1976:23)

    ▲ ブリコラージュとエンジニアリング


    上記の点も含め、この両者をいくつかの観点で比較したものが下表になりますが、計画通りに物事を進めることが過度に重視された現代社会に息苦しさを感じてきた我々にとっては、「即効的」や「試行錯誤」というブリコラージュの特性が非常に魅力をもったものとして感じられるのではないかと思います。(表は筆者作成)

    観点 ブリコラージュ エンジニアリング
    目的 既存のものを再利用して新しいものを作る 明確な目標や規格を満たすためのものを作る
    材料の利用 手元にあるものを活用
    (制約が多く、利用可能なものに依存)
    事前に計画して選ばれた材料を利用
    (最適な手段や方法を選ぶ)
    計画性 即興的 事前に詳細に計画
    アプローチ 試行錯誤 論理的
    成果物の性質 ユニークで独特 画一的・再現性
    リスク 予期せぬ結果や変化が生まれる可能性 リスクは最小化することを指向


    非本来的な「偶発運動」を意味するブリコラージュ

    レヴィ=ストロースによれば、ブリコラージュの動詞である「ブリコレ(bricoler)」は以下の意味を持つものとされますが、プロジェクトマネジメントを考える上で、この「ブリコレ」が意味する「非本来的な偶発運動」というものが非常に重要な要素になるのではないかと思います。

    「古くは、球技、玉つき、狩猟、馬術に用いられ、ボールがはねかえるとか、犬が迷うとか、馬が障害物をさけて直線からそれるというように、いずれも非本来的な偶発運動(太字は筆者)」(ストロース,1976:22)

    ▲ 「ブリコレ(bricoler)」という動詞が意味するもの


    プロジェクトにおける「偶発性」は、いくつかの視点から考えることができます。

    1)1つは、計画どおりに進めようとしても、コントロールすることができない何か/偶然発生した何かにどうしても影響を受けてしまう可能性があるという点。2)もう1つは、コントロールすることができない何か/偶然発生した何かによって、プロジェクトがより良いものになりうるというポジティブな点です。ゴールが固定的/確定的なものであれば「偶発性」はネガティブなものとして捉えられがちですが、固定的/確定的なゴールは存在せず、むしろ個人の意思の先にゴールがあるようなプロジェクトにおいては、「偶発性」はポジティブなものになりうるものです。

    そして、視点をプロジェクトの内に向ければ、3)人間と人間との関係における「偶発的」な行為やコミュニケーションという点からも考えることができます。社会学者のパーソンズやルーマンらが言及した「ダブル・コンティンジェンシー(二重の偶有性)」――自我の行為選択は、他我の行為選択に依存し、他我の行為選択も同様である、という現象*1――もその1つです。ルーマンは、ダブル・コンティンジェンシーがあるからこそコミュニケーションや相互作用が生まれると指摘していますが、個人と個人との関係の中には、お互いが他者だからこその「難しさ」と「可能性」が存在します。


    現代のプロジェクトにおける偶発性

    自分自身が関わるプロジェクトをふりかえると、「偶発性」の面白さは、私自身も感じている部分があります。

    たとえば日々のミーティング。毎回のミーティングは事前にアジェンダが定義・設計され、ミーティングでは基本的にはそのアジェンダどおりに進んでいく。必要なことを限られた時間の中で進めていくという意味では重要であり、この利点は理解しながらも、「たとえば、クライアントとのミーティングはともかく、社内ミーティングまですべてそうある必要があるのか?」「もっと、だらだら話してはいけないのか?だらだら話す時間は必要ないのか?」と思うこともかなりあります。

    実際、この記事自体が、弊社メンバーとのだらだらとした対話の中から生まれていますが、そのような時間の使い方をして良いのだろうかという気持ちもゼロではありません。このように考えると、我々は「計画しないこと」に慣れていないし、もっと言えば、恐怖心すら持っているかもしれません。


    <偶発性>に身を委ねながら、<ブリコラージュ>することの意味

    しかしながら、偶発性に身を委ねながら、「そのときそのとき限られた道具と材料の集合でなんとかする」ブリコラージュは、未来への可能性を開いてくれる存在であると考えます。

    ブリコラージュではないもの(=計画性を重視するスタンス)とブリコラージュ(=偶発性を重視するスタンス)を「目的ー手段」関係で考えるならば、前者が「特定の目的のために、多様な手段を探す」ものであるのに対し、後者は「ありあわせの手段から、多様な目的(可能性)を探す」ものであると言えます(下図)。その可能性を引き出すのは、「まだなにかの役にたつ」という原則で集められた、潜在的有用性を持つ資材です(ストロース,1976:23)。

    非ブリコラージュ:特定の目的のために、多様な手段を探す/ブリコラージュ:ありあわせの手段から、多様な目的(可能性)を探す

    このような「目的ー手段」関係の捉え方の転回について、レヴィ=ストロース(1976:27)は「同じ材料を使って行なうこのたゆまぬ再構成の作業の中では、前には目的であったものがつねにつぎには手段の役にまわされる」と指摘しています。これはしばしば批判される「手段の目的化」とは正反対の「目的の手段化」とでも言えるもので、目的が手段のレベルに落ちることで、より上位/より本質的な目的を見いだせる可能性が高まるということです。

    逆に言えば、偶発性に身を委ねないということは、「計画したものでいい」と考えているという点で、諦めの態度とも言えるかもしれません。ブリコラージュは「もっと良い可能性があるはず」という態度を持つことであり、この点こそが、「そのときそのとき限られた道具と材料の集合でなんとかする」ブリコラージュの価値と言えます。


    [……]彼がまずやることは後向きの行為である。いままでに集めてもらっている道具と材料の全体をふりかえってみて、何があるかをすべて調べ上げ、もしくは調べなおさなければならない。
    そのつぎには、とりわけ大切なことなのだが、道具材料と一種の対話を交わし、いま与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる可能な解答をすべて並べ出してみる。しかるのちその中から採用すべきものを選ぶのである。彼の「宝庫」を構成する雑多なものすべてに尋ねて、それぞれが何の「記号」となりうるかをつかむ。その作業は作り上げるべき集合を定義するのに役立つ。
    (ストロース,1976:24)


    複雑性のマネジメント:プロジェクトマネジメントは、計画性と偶発性をマネジメントすること

    もちろん、ありあわせのものから可能性を引き出すことが重要だからといって、現実のプロジェクトにおいてはそれだけをやっているわけにはいきません。最終的に実現したいゴールを計画することも当然必要です。

    では、どうすればよいか。

    結論から言えば、「計画性」と「偶発性」の両方に目を向けるということです。つまり、プロジェクトをマネジメントするということは、「計画性」と「偶発性」をマネジメントすることであり、プロジェクトにおける<複雑性>をマネジメントすることです。

    不確実性コーン(Cone of Uncertainty)に代表されるように、プロジェクトマネジメントは不確実性やバラツキを抑制することを指向します。この考え方は「計画性」という観点においては非常に重要ではありますが、現実のプロジェクトにおいては「そもそも、目指すべき方向性・ゴールはこれで良かったのか?」という前提の問い直しが必要になる状況があり、それはプロジェクトの不確実性をどう抑制するかという話以前の問題です。なぜなら、そもそもの方向性やゴールがズレていたならば、不確実性をいくら抑制したところで、何の意味もないからです(ズレたゴールに確実に到達するだけです)。

    不確実性コーン(Cone of Uncertainty)の図
    出典:

    しかし、現実のプロジェクトを考えれば、前提の問い直しなどの複雑性を高めたり偶発性を許容することも必要だからと言って、それだけを行っていては永遠にゴールに到達できません。また、たとえば納品の前日にそもそも論の議論(例:目的の問い直しなど)をしていられないように、複雑性・偶発性が許容できるタイミングがあります。

    そのため、先ほどの図(「非ブリコラージュ」と「ブリコラージュ」)で言えば、「このプロジェクトは、どちらのモードでいくか?」「いまどちらのモードにいるのか?」というような前提をすり合わせることが重要になります。

    このモードは、固定的なものではありません。
    たとえば、作るものが決まっているウォーターフォール型のプロジェクトであっても、部分的にはブリコラージュ的な偶発性を取り入れています(例:そもそもの問題認識の議論、進め方の見直しなど)。逆に、なにかを探究するようなプロジェクトであっても、部分的には非ブリコラージュ的な計画性が入ってきます(例:短期的なアウトプットを決めて、そこに向かって作業をする場合など)。

    ですので、プロジェクトの状況に応じて、非ブリコラージュのモードとブリコラージュのモードを0-1ではなく、両者の間のグラデーションの中で適切なモードを選択できるとよいのではないかと考えます。


    ブリコラージュする道具:「つくること」と「語ること」

    では、両者のモードを行き来しながら、「計画性」と「偶発性」をマネジメントしていくためには具体的にどうすればいいか。

    レヴィ=ストロース(1976:22)は、ブリコラージュをする人(ブリコルール)について、「ブリコルール bricoleur(器用人)とは、くろうととはちがって、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人のことをいう」と指摘しますが、この「作る(つくる)」という行為が「計画性」と「偶発性」をマネジメントする、つまり、両者を二項対立的にではなく二項動態的に捉えてマネジメントしていくための鍵であると私は考えています。


    「つくること」が
    <計画性>と<偶発性>を二項対立ではなく二項動態的にマネジメントしていく鍵


    「つくる」とは、「新しい物事・状態を生みだす」(出典:デジタル大辞泉)ということを意味します。日本語の「つくる」には、いくつかの漢字(作る・造る・創る)があてられており、それぞれ違う意味を持つものですが、「新しい物事・状態を生みだす」という意味ではいずれも共通しています。

    たとえば、プロジェクトであれば、資料をつくる、プロジェクトの構想をつくる、制作物のたたき台をつくる、システムのプロトタイプをつくる、ルールをつくるなど、対象も粒度も実にさまざまなものをつくっていますが、たしかにそのいずれも「新しい物事・状態を生み出す」ものと言えます。

    この「つくること」について検討するために、ここで、レヴィ=ストロースと同じく人類学者であるティム・インゴルドの言葉を参照します。

    ティム・インゴルド(2017)は、「理論家」と「職人」の対比の中で「つくること」と「考えること」について、「理論家が考えることを通してつくる者であり、職人はつくることを通して考える者」と指摘していますが、これは、レヴィ=ストロースが比較した「エンジニア」と「ブリコレ(ブリコラージュする人)」との対比と類似しています。インゴルドは、「つくることは作者と素材のあいだの相互作用」とも指摘していますが、このインゴルドの言葉を借りれば、ブリコラージュは「つくることを通して考える」思考法であり、「作者と素材のあいだの相互作用」によって「新しい物事・状態を生みだす」行為であると言えるかもしれません。

    レヴィ=ストロース(1976:36)も、「作家が材料や製作手段に「話し相手」の資格を認めるかどうか」が重要と同様のことを指摘しており、この「作者と素材のあいだの相互作用」や「素材との対話」が、プロジェクトにおいて<計画性>と<偶発性>をマネジメントする鍵ではないかと考えます。

    では、現代のプロジェクトにおける素材や材料とはどのようなものでしょうか。

    一般的に、素材や材料という言葉から連想されるものは、木材・石・食材などの物理的だと思われますが、現代のプロジェクトは物理的なものづくりだけではなく、また複数人で進めるものである以上、「素材」や「材料」となるのは木材・石・食材などの物理的なものだけではありません。

    現代のプロジェクトにおける素材や材料の最たるものは「人」です。その「人」に付随するものとして、「その人たちが生み出す関係性や文化」や「その人たちが経験してきたこと」なども素材・材料になりえますが、あくまでも「人」です。そのため、「作者と素材のあいだの相互作用」や「素材との対話」(インゴルド)は、仲間との「相互作用」であり、仲間との「対話」をしなければならないということです。そして、その時、各自は「作者」でもあり「素材」でもあり、両者を行き来し続ける存在と言えます。


    コパイロツトのプロジェクトマネジメントの方法論における「つくること」「語ること」

    コパイロツトでは、していますが、実はその中でも、「活動(つくること)」と「対話」をプロジェクトを進める上での根幹となる要素と位置づけています。

    「活動した上で、対話をする」「対話をした上で、活動をする」ということがブリコラージュするということではないかと思いますし、それによって、<計画性>と<偶発性>を二項動態的に内包しながら状況に柔軟に対応しながらプロジェクトを進めることができるのではないでしょうか。

    Project Sprint のシステム:反復的(定期サイクル)な活動と対話を繰り返すことで、チームメンバーが自律的な活動をしやすい環境をつくり、結果として変化に適応しながらプロジェクトは推進する。


    次の連載に向けて:つくることの贈与的意味

    この連載のテーマである「マネジメント」は、そもそも「なんとか対処する」「なんとか間に合わせる」ことを意味するものであり、その語源は「馬をならすこと」を意味するmaneggiareと言われています。マネジメントはしばしば「計画どおりに進めるために、細かく管理すること」と捉えられることもありますが、「なんとか間に合わせる」という意味から考えれば、それは極めてブリコラージュと親和性がある言葉とも言えます。

    ありあわせの素材と対話をしながら、ものをつくり、なんとか間に合わせること。

    そのことがプロジェクトの可能性を広げるだけでなく、我々が作ったものは「いつかの誰かのための<贈与>」となり、次のブリコラージュを生み出す素材になっていくのではないでしょうか。

    <野生>のプロジェクトマネジメントの次回記事は、「贈与」について、マネジメントとの関係や意味を考えたいと思います。


    参考文献

    • クロード・レヴィ=ストロース, 野生の思考(大橋保夫訳),みすず書房,1976
    • 小林盾, ダブルコンテインジェンシーの出口一相補論という方法へ, ソシオロゴス, 1994, 18号, p. 66-78
    • ティム・インゴルド, メイキング 人類学・考古学・芸術・建築(金子 遊, 水野 友美子, 小林 耕二訳),左右社, 2017


    執筆者 米山知宏(よねやま・ともひろ)( / )
    プロジェクトファシリテーター、プロジェクトコンサルタント。 プロジェクト・組織の推進をプロジェクトマネージャーとして関わりながら、プロジェクト・組織の未来に必要なナレッジ・知を言語化するサポートをしています。 対象分野は民間企業のDX領域が中心となりますが、シンクタンク・パブリックセクターでの勤務経験から、公共政策の立案・自治体DXに関する業務も担当しています。

    *1:出典:

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